パザパ

パザパ pas a pas ・・・フランス語で一歩一歩。頑張らずでも一歩一歩前に進める日々を願って・・・

そうだ、直島に行こう その3

台風に翻弄された三連休が終わり、急に空が高くなった。最低気温が一気に20度以下に。あの熱帯夜からやっと解放されたのは嬉しいけれど、急激な降下に体がこころがついていけず戸惑うばかり。このまま秋へと切り替えても良いですか?と疑心暗鬼で空に問う。今年も読書の秋のみになるのだろうか。相変わらずのマスク生活が悩ましい限り。
さて、気を取り直して「地中美術館」にこころを戻してみよう。

直島に於ける安藤忠雄氏の代表的建築「地中美術館」は名前の通り建物の大半が地中にある。瀬戸内の景色、自然を損なうことがないよう、敢えて外観のない建築を設計したという。上空から見ると丘の上に各展示室の天井に設けられた天窓が見えるだけ。つまり各展示室の採光はこの天窓から差し込む自然光のみ。「各スペースが光によって性格づけられるようにした」安藤氏の意匠がそこにある。(写真は「地中美術館」HPより)

エントランスや館外の通路部分のみ撮影が許されている。エントランスを抜けて暗い通路を進むと自然光が優しく迎えてくれる。光と影の中をぐるぐると回っているような階段を登っていく。迷宮のような通路、そして階段。差し込んでくる瀬戸内の陽光。この先に何が?すっかり安藤建築が目指した「地中の光」に惹き込まれていく。
地中美術館の中心的な展示作品は皆さんご存知のクロード・モネの大作「睡蓮」モネが70歳を過ぎてから描き始め、亡くなる86歳まで描き続けた作品の一部だという。そしてこの「睡蓮」を今の視点から解釈するために、現代作家の二人が選ばれたという。

それがウォルター・デ・マリアとジェームズ・タレル。私が特に深くこころをとらわれたのはマリアの展示でした。入場制限がされていて暗い通路で少し待たされた後、いきなり現れたこの世界に一歩足を踏み入れた途端、まさに言葉を失った。花崗岩の球体の上には長方形の天窓があり、そこから差し込む光が球体の中心に輝き、青空が部屋の中心にあった。金箔張りの木彫は一つとして同じ組み合わせはないという。階段を一段登るごとに見える世界が変化する。球体の中に映る世界、私の姿をも含めて刻々と変化する。しかし天窓の光はその全てを包括してそこにあり続ける。ここには確かに神が宿っている。神の光に包まれている。何度もそう思った。(写真は「地中美術館」HPより)

奥行き24m、幅10m、長方形に切られた天窓からは、太陽が入口から昇り奥側の壁方向に沈んでいくという。天井の採光はマリア自身がデザインしたという。私が訪れたのは8月末の午前中、真夏の陽光だった。秋にはまた冬には、そして春にはどんな世界を見せてくれるんだろう。永遠に惹きつけるものがここにはある。瀬戸内の海が臨める丘にあったマリアの作品「見えて/見えず 知って/知れず」もまた違った季節に訪れてみたい。

「地中の光」が作品そのものが宿す光を際立たせ、新たな光を現すことが出来るのだろう。モネの部屋も、ジェームス・タレルの展示も素晴らしかった。フランスの美術館で見慣れたモネの作品に新たな気づきをいただいた。タレルの意匠を超えた展示には価値観の変容を問われているような、面白い発見があった。今でも眼を閉じるとあの日の感動が湧き上がってくる。3人の個性的なアーティスト、互いが刺激し合いながら共生するアートスペースを目指した安藤忠雄こそ、4人目のアーティストであり、地中美術館そのものがアートなのだとあらためて思う。またきっとこの場所に立ちたい。その日を楽しみにもう少し生きたいな。

■最近読んだ本  「汝、星のごとく」 凪良ゆう著

         「夜に星を放つ」 窪 美澄著

■最近観た映画  「百花」  川村元気 脚本・監督

そうだ、直島に行こう!その2

直島への旅からあっという間に3週間が過ぎ去ってしまった。実は半年前から準備を進めてきたヨーガのイベントが、いよいよの最終段階に入りとにかく日々追われていた。ところが開催日の9月19日(月・祝)に、なんと最大級の台風が直撃との予報。「え〜〜!!」と戸惑っている暇もなく「延期!!」を即決。迅速な判断、決定、告知!ヨーガで培われた決断力が生かされて各方面へのお知らせ、お詫び、更に再度の会場申請をわずか2日でやり遂げた。ほっとして過ごす日曜日、気づいた。直島の旅報告途中だった、、、と。

そういえば、私、ベネッセハウスにお泊まりしたかったんだ!そうふっと8月の初めに思い出した。急ぎネットで空きを探したら、何と憧れのオーバルが一室だけ空いているではないか!一瞬の迷いもなくすぐにネットで予約をした。そうかぁ、私って決断力の人なんだね。

ベネッセハウス・オーバルは、ミュージアムから小さなモノレールで登っていった丘の上に建つ。モノレールのドアを開け始動スイッチを押すと、急斜面をコトコトと上り始める。やがて眼下が開け瀬戸内の海が現れた頃、到着!モノレールを降りると流れおちる水音と共に、安藤忠雄ワールドが目の前に現れる。丘の上の小さな人口滝?から階段状に水が流れ落ち、その水面には穏やかな青空が広がり、優しい風がその空を揺らしていた。

池を丸く囲むように建つオーバルには、わずか6室の部屋が配置されている。青いドアの向こうが客室で、洗濯室やパソコン室、美味しいケーキやコーヒーがいただけるラウンジもある。

青いドアを開けると、床から天井まで広がる窓に、瀬戸内の海が広がっていた。明るい陽光に輝く海が笑顔で出迎えてくれた。蔦が絡まる外のコンクリート枠が、まるで絵画を飾る額縁のように建っている。まさにこの景色がこの部屋の最高のアートそのものなのだ。時の経過と共に刻々と変わる海を、ずっとここに座って眺めていたい。波立ってはいないのではと思える静かな海を眺めていると、私のこころの海も穏やかな静けさに包まれていく。

ヨーガではこころを海に例える。海が波立つように、私たちのこころはいつも揺れ動く。表面の水面は揺れても、深い海の底はいつも変わらない静けさの中にある。揺れるこころの波にこころを捉われず、海の底のようにいつも変わらない真我にこころを向けていよう。穏やかな海はまさにヨーガの世界観に繋がっているのだと改めて気付かされる。
ベット側の壁にはベルント&ヒラ・ベッヒャー「6基の給水塔」が架けられていた。

ロープーウェイに乗り、夕陽が沈む海を眺めながら、夕食を食べるためミュージアム内のレストランに降りていく。瀬戸内の優しい海の幸をいただいた後は、夜のミュージアムを初体験する。ベネッセハウスの宿泊客のみ、館内を23時まで鑑賞できる。また昼間とは全く違った世界で、ゆっくり作品に向かい合う。夜の帳が下りた窓の外には、屋外の展示物が浮き上がるように不思議な存在感と共にそこにあった。

再びモノレールに乗って夜のオーバル戻る。水面には夜の空が、客室の青いドアが鏡絵のように写り、秋の虫たちが優しく音楽を奏でていた。昼間とは全く違う顔を見せてくれるこの建物の素晴らしさをどう形容したら良いのか、、、
窓のカーテンを全開にして眠った。眠るのがもったいなくて、夜中に何度も目を覚まして窓の向こうの闇を眺めた。うっすらと明るんでいく空を海を眺めた。また生まれ変わったかのように輝く朝の海を眺めた。そしてこの景色を決して忘れないようにと、私はこころの奥にしっかりとこの景色を閉じ込めた。

朝、屋上に続く階段を上がり、360度広がる絶景に朝の景色に挨拶をした。瀬戸内の大自然に「ありがとう!また今度は違う季節にやってくるよ!」と声を掛けた。わずか1泊だったけど、最高に贅沢な時間を過ごせた。思い切ってこの場所に来て本当に良かった。我決断にいいね!をいっぱい贈った。
次は最高の感動を味わった地中美術館について、報告しま〜す!?!

そうだ、直島に行こう!その1

夏の終わりの集大成?として、久しぶりに旅に出ようかなと思った。その瞬間に「そうだ直島に行こう!」と速攻で言葉が下りてきた。急ぎネットで直島を検索したら、「ベネッセハウス」という素敵なホテルがあることを知る。空いてる部屋を探したらベネッセハウス、オーバルに一部屋だけ空きがあった。とにかく予約だけは入れておいて後でゆっくり旅程を考えることにした。その夜「直島に行くけど一緒に行く?」と娘に尋ねたら「行く〜!!丁度瀬戸内国際芸術祭やってから、絶対行こう!」と即答。そうかぁ、ずっと以前から一度は行ってみたいと思っていた芸術祭にも行けるなんてと、我が思いつきの素晴らしさに感謝する。

岡山に一泊後、早朝電車で港へ行き、そこからフェリーで直島へ。月曜日は休島日で、乗船客も少なくて、そうかぁだからホテルも取れたのかなと今更ながら納得する。ホテルで荷物を預けて早速行動開始する。まずは草間彌生さんの作品が展示されているヴァレーギャラリーへ。

「ナルシスの庭」池に庭に無数の球体がひしめいている。近づくとその一つ一つに空が木々が見つめている私が映り、その全てが私を見つめていることに一瞬怯みながら、球体の中の無数の私に再び向かい合う。池に浮かんだ球体は風が吹くたびに、キュキュという音をぶつかり合う。1966年ベネチアで初公開され、草間彌生の名を知らしめたインスタレーション安藤忠雄氏設計のギャラリー内では降り注ぐ日の光にまた違った表情を見せてくれる。時間の経過とともに変化する様をずっと見ていたいけど、、、見ているのが少し怖い、そんな場所だった。

ベネッセハウスの循環バスでパークに移動して「杉本博司ギャラリー時の回廊」へ。杉本博司の作品を鑑賞できる世界的にも例を見ない展示施設だという。「時の回廊」という安藤建築空間に導かれ、杉本作品の世界に自然に引き込まれていく。そしてガラスの茶室「聞鳥庵」は木々の緑と空の青さに包まれて突然目の前に現れた。

杉本作品の感動を胸に瀬戸内の海が目の前に広がるベンチに座り、木々を通り過ぎる爽やかな風を、穏やかな海を全身で味わう。静かな海面に時々魚がジャンプする。鳥が果敢にダイブを繰り返す。水平線の向こうに高松の街が見える。豊かな自然こそが建物の外観であると、ここ直島を安藤忠雄が選んだ理由を体感する。ずっとここに座って海を眺めていたい。隣のベンチでずっと本を読んでいる女性がいた。読書にも最適な場所だった。次は本を持ってここに来よう。

ベネッセミュージアムへ戻る道に点在するアートたち。ジョージ・リッキー「3枚の正方形」

片瀬和夫「茶のめ」

ヴォルター・デ・マリア「見えて/見えず知って/知れず」地中美術館でも展示されているマリアの作品にこんなところで出会えるなんて。大理石の球体には瀬戸内の空が、そして近づいた私の姿が写り込み、その全てが作品になる。見えているのは一瞬の幻のようなものなのか。でもこの瞬間、確かに私には見えていた世界を私は私の記憶に刻み込む。
ホテルのチェックイン時間にはまだ少し時間があったので、ベネッセハウスミュージアムの作品たちをゆっくりと鑑賞した。
そしていよいよ今夜の宿「ベネッセハウス・オーバル」へ。続きはまた後日に。

■最近読んだ本  「ふがいない僕は空を見た」 窪 美澄著

         「ペガサスの記憶」 桐島洋子 かれん ノエル ローランド

■最近観た映画  「プアン/友達と呼ばせて」 パズ・プーンピリア監督

 

久しぶりに久住に行って来ました

ほとんど雨らしい雨が降らないまま、あっという間に梅雨が明けて、以来ず〜っと暑い暑い日々が続いている。アーユルヴェーダーに因るとピッタのエネルギーが強くなる夏は、ピッタ体質の人は一層ピッタが増悪して体調を崩しやすいという。なるほど、ピッタ体質の私はしかも8月生まれだし、夏にはパワーが半減して毎年夏バテしてしまうのは仕方ないことなんだ、むしろ私は夏を先取りしてるんだと納得する。とにかく体重が落ちないようにしっかりと食べて、大好きな昼寝をしよう。庭のゴーヤがやっと実り始め、今朝も大きなゴーヤを収穫した。今夜はゴーヤチャンプルを作ろうかな。

6月末になんとか2日間のお休みを取り、久しぶりに久住に遠出した。
久住といえば久住山でしょ。昔、登山にハマっていた頃、久住の山々を縦走していたことを思い出した。久しぶりに登ってみよう!とりあえずその夜の宿を予約する。昔々履いていたトレッキングシューズとステックを車に積み込み、リュックにおにぎりや水を詰め込んで、意気揚々と出発した。九重で高速を降りてやまなみハイウェイを走る。夫の運転で何度も通った道を初めて自分で運転をする。運転が苦手で特にカーブが怖い私は、ずっと緊張しっぱなし(汗、、)なんとか牧の戸峠の駐車場に着いた時は、すでにかなりお疲れ状態でこれから登山!??大丈夫かな、、、既に暗雲垂れ込め始める。しかし、ここまで来たら登るしかない。

登り初めから急な階段状の道が続く。結婚して初めての夏、昭和51年6月の山開きのときに両親と姉、夫と義母と一緒に登った記憶があるけれど、本当にこの山だったのだろうか?一気に心拍が上がり、額の汗を拭う余裕もなく「しんどい!足が重い!やばい!」こころがずっと叫び始める。登り初めからこれでは先が思いやられるよとひとり思いながらも、何とか足を前に運ぶ。やがて少しづつ呼吸も落ち着いていく。空は限りなく青く、太陽の光は眩しいけれど、通り過ぎていく涼風が汗ばんだ体を気持ちよく和らげてくれる。

登り始めて30分くらい経った頃だったか、ずっと靴箱の奥にしまい込んでいたトレッキングシューズの靴底が!!なんと完全に外れた。事前にチェックしなかったことを後悔するが、時すでに遅く。衝撃を和らげるクッションを無くした靴は、まさにスリッパを履いた状態となる。とにかく滑る。両手にスティックを握り閉めて踏ん張り、岩から降りるときは滑らないようにゆっくり慎重に重心を移動する。全身に無駄な力が入り汗が吹き出す。ずっとずっと足元から眼が離せず周りの景色を眺める余裕もないまま、気づいたら既に2時間が経過していた。やっとお腹が空いていることに気づく。

山頂が臨める避難小屋の近くで持って来た梅肉いっぱいの玄米おにぎりを食べる。もう頂上は目の前に。しかし最後のこの登りをスリッパ?靴で登り、また降りることが出来るだろうか。ここで断念するべきか。悩んだ末にもう少し頑張ってみるかと再び重い腰をあげて登り始める。大きな岩場に足を乗せて踏ん張った瞬間、滑り落ちた。肘と膝を強打する。幸い軽く擦りむいたくらいだったけれど、これはもう限界だなと思った。ここまで来て諦めるのは本当に残念だけれど、ここで無理をしたら明後日からの仕事に差し支える。先に登っていた娘に避難小屋で待ってるからと告げて、ひとり降り始める。ゆっくりゆっくりと一歩一歩確かめるように降りていく。頭上で自衛隊の飛行機が何度も旋回していく。あれは戦闘機なんだろうか。ふとウクライナのことを想った。

やっとやっと牧の戸に降り立ったのは既に夕方5時を過ぎていた。11時から登り始めて6時間もかかってしまった。足は既に限界にきていた。それでもまだ開いてた売店でソフトクリームを食べ、今夜の宿に向かった。以前登ったときはそれほど大変ではなかったのにねと娘に話しながら、あれって35年も前だったなということにやっと気づいた。そうかぁ、自分の歳を忘れていたことに呆れながら、まぁこの壊れた靴でよく登ったよねと自分を慰めた。目の前に阿蘇の外輪山を眺められる部屋には広い温泉がついていた。早速温泉に浸かり全身をしっかりマッサージをする。1日の疲れが湯の中に溶けていく。窓の外には緑の世界が広がり、小鳥の可愛い囀りが聴こえてくる。「あ〜極楽、極楽!」

新月の夜だった。空には満天の星がキラキラと光輝いていた。翌日は久住ワイナリーまで足を伸ばしワイナリー自慢のワインを購入して、隣接するレストランで高原野菜いっぱいのピザをいただいた。長者原にあるタデ原湿原も散策して、暑い暑い福岡の戻った。
結婚して初めての夏に、家族みんなで久住山に登った写真を押しれの奥から探し出した。亡くなった両親や夫や義母、そして私と姉が写っていた。姉にラインでその写真を送った。「みんないなくなったね。寂しいね。」出来たらもう一度久住山の山頂に立ってみたい。そしてあのときと同じように山頂で写真を撮りたいな。

「ああ。こんなときにも空をきれいと思っていいの 自転車をこぐ(スギナ)」朝日新聞の「言葉季評 穂村弘」に記載されていた短歌。久住の山々も空も風も夜の星も全てを忘れるほど美しく澄み渡っていたけれど、どこか全力で消化出来ない私がいた。今は闇にこころを向けすぎず、光を見ていようと思うのだけれど、それで本当にいいのだろうかと自問は続いている。混沌を抱えて迷い悩みながら生きるしかない。今週も一歩一歩。

 

遅ればせながら梅雨入りした週末

6月になり庭の紫陽花が満開になった。毎年お花が終わるとかなりバッサリと枝を落とすのだけれど、今年もすくすく育ち、すでに2メートル以上高さに成長している。夫の写真の前を飾る花は最近ずーっと紫陽花。たまには違う花にして!と夫の声が聞こえるようだ。猫の額よりも狭い庭には夫が植えた木々が元気に育っていて、ジャングル状態になっている。雨が降る前に、暑くなる前になんとかしなくてはと思いながら、今日も眺めるばかりで終わってしまう。

あっという間に1週間が過ぎ去っていく。月曜日から土曜日まで毎日ヨーガの指導に明け暮れている。この歳になっても私を必要としてくれている人がいて、そんな場所があることを本当に幸せだと思う。けれど時々立ち止まってしまうこともある。相変わらず迷いはあるし、落ち込んでしまうこともいっぱいある。その度に「ヨーガスートラ」の「無智、自我意識、愛着、憎悪、生命欲とが煩悩である(IIー3)」という言葉を思い返し、私はどこで立ち止まっているのかを見つめ直すようにしている。

「無智とは有限、不浄、苦、非我のものを、無限、浄、楽、真我であると思うことである(IIー5)」ものごとの判断基準が定まらず、自分の価値観や考えが揺れてしまうことで見誤ってしまい、結果立ち止まってしまうのだろう。何が起きてもど〜んとここにいて、穏やかな表情で微笑みを絶やさずにいる、そんな私でずっといれたらいいのだけれど。
無理!!私は仏さまではないのだからと、開き直る私に「死ぬまで修行!」ともう一人の私が言い聞かせる。

ルシア・ベルリン・・・彼女の紡ぎ出す言葉や世界観にすっぽりと包まれていると、そんな煩悩も薄まっていくように感じる。アラスカ州で生まれ、テキサス州で育ち、終戦後はチリに移住。ニューメキシコ大学で学び在学中に結婚、息子2人をもうけるが離婚。3度の結婚、離婚を経験し、晩年は肺がんを患い、68歳の誕生日にお気に入りの本を手にしながら亡くなったという(wikipedia より)19編の短編が収められたこの作品集はまるで宝石箱のように、どの作品もそれぞれの光を優しく放っている。登場人物のほとんどが大変な状況下にあるのに、ほっと気持ちが緩んでいくような温かさに包まれていくのはどうしてなんだろう。不思議な読書感に最初は戸惑いながら、やがて、それはルシア・ベルリンの深い愛なのだとの思いに至る。あなたは誰かを愛していますか?ただ「今 ここ」の全てを受け入れ、しっかりと慈しみ愛しなさい。彼女の声が聞こえるようだ。

「こんなに渇いても、人は愛せるし、こんなに汚くても、人は気高いし、こんなに希望がなくても生きられる。その事を天気のように受け入れるしかないのだと、隣で微笑んでいるような読書感だった。(金原ひとみ 朝日新聞読書評より)」

まるで自然を眺めているかのように、湧いてくる思いをそのまんま受け止め、穏やかな眼差しで見守っていく。そしてまたゆっくり今ここの呼吸に戻っていく・・・夜、静かに座して少し瞑想をした。今週も日々丁寧に歩いていこうと思った。良い日曜日だった。

■最近読んだ本  「同志少女よ敵を撃て」 逢坂冬馬著

         「すべての月、すべての年」 ルシア・ベルリン著

■最近観た映画  「トップガン マーヴェリック」 トムクルーズ主演

         「オードリー・ヘップバーン

皐月の空を見上げて

新緑が眩しい季節になりました。巷ではGW。10日間お休みという人もいるとか。感染者は相変わらず下げ止まってはいるものの、少しずつ街は賑わいを取り戻しつつあるようです。でも久しぶりに遠出をしようかなという気分にはなかなかなれなくて、連休中も仕事。参加される皆さんに日頃の疲れを癒していただければと、ヨーガ指導頑張っています。

土曜日の朝日新聞「be)between」の「あなたは空を見上げていますか?」を興味深く読んだ。読者アンケートによると90%の人が「はい」と答えていた。私もよく空を見上げる。車を運転していて信号待ちで止まっているときが多いかも。見上げていつも思うのは、実は逝ってしまった人たちのこと。「いつも想っているよ。元気ですか。」心の中でそう呟きながら、空の人たちに挨拶をする。

以前は空を見上げると逝った人を想って目頭が熱くなってしまったけれど、今はもう泣かなくなったなぁ。時間の経過が悲しみを少し薄めてくれるのかな。それが嬉しくもあり、少し寂しくもある。
真っ青な空に浮かんでいる雲を見るのも好きだ。気ままにゆったりと流れていく雲を見ていると私も雲になりたいなと思う。結構頑張っているからかな。

先日NHKスペシャル「見えた 何が 永遠が〜立花隆 最後の旅〜」を観た。途中から正座してメモを取りながらしっかりと拝見した。「見当識」という言葉がこころに響いた。「人間はどこから来て、いまどこにいて、どこにいくのか。」「人類はより知を高めることで次の進化へ導かれる。知ることに限界はない。」ひとつひとつの言葉が胸に突き刺さる。本は外部記憶装置だという。その5万冊とも10万冊とも言われる蔵書や膨大な資料は全て寄贈されたとか。まるでその存在そのものを消すかのような最期。その潔さは武士道に繋がるような気がする。

「知ることに終わりはない」しっかりと胸に刻み、知らないことを知る喜びを死ぬまで持ち続けたいと思う。

空を眺めに大濠公園まで行き、隣接する市立美術館で開催されている「ミナ ベルホネン/皆川明 つづく」に。長く大事に着れる服「特別な日常服」、インテリアや食器、朝日新聞「日曜日に想う」のイラスト原画など、見応えのある展示にこころ遊ばせる空間だった。
いろんなことに興味を持ち、思いついたら即行動へ。コロナ禍でひとりでどこでも出かけるフットワークの軽さに助けられている。

体を動かすには最高に気持ちのいい季節だから、少し遠出をして自然のエネルギーをいただきに出かけよう。コロナ禍でお家大好きになったけど、そろそろお外も大好きスイッチに切り替えなくては。皐月の空を見上げてそう想う。今月もよろしくね!空の人にお願いする。

*最近観た映画 「ベルファストケネス・ブラナー監督 脚本

        「ひまわり」50周年HDレストア版

*最近読んだ本  「革命前夜」須賀しのぶ

         「物語 ウクライナの歴史」 黒川裕次著

*ずっと読んでる本 「美術の物語」 エルンスト・H・ゴンブリッチ著 河出書房新社

 

桜咲く日に想うこと

世界が大きく揺れ動き、不気味なうねりに翻弄され続けている。この信じられない状況を一体誰が想像できただろうか?こころが一向に晴れないまま4月を迎えようとしている。そんな重いこころを慰めてくれるかのように、桜は変わらず日本の春を咲き誇っている。福岡は日本で一番早く開花宣言をして、これまた一番早く満開になった。

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桜には青い空が一番似合う。快晴の日曜日、お天気に誘われて油山の麓にある園芸公園に出かけた。昔々は子供たちと、それからお孫ちゃんと、そして夫が亡くなるまでは二人で、この場所で過ごした日々が懐かしく蘇ってくる。生きてきた歳だけ桜の思い出があり、そんな日々が見上げた桜の向こうに次々に広がっていく。

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過ぎ去った日々を思い出し懐かしむことは、決して後ろ向きの行為ではないと思う。今の私は過去の記憶で、素晴らしい体験の全記憶で生かされているのだから。桜の花の向こうに、あの時の笑顔が、あの時交わした言葉が、無言で共に見上げた桜咲く空が、今も鮮明に蘇ってくる。だから桜は一層優しく、美しく人々を癒してくれるのだろうと今年は例年以上にしみじみと思った。

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アーモンドの花も満開だった。夫が亡くなる前の春、二人でアーモンドの花を眺めた日のことを思い出した。あの日は花は終わり近くで元気がなかったし、少し肌寒い日だったから、こんなに明るい色なんだと見直してしまった。塗り替えられる記憶もある。ずっと変わらない記憶もある。過去の記憶を大事に抱え、また新たな記憶にもいっぱい出逢いたい。新年度が始まる。何か新しいことを始めたいなと少し思った。

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眠る前にベットの中で本を読むのが私の変わらない習慣。向田邦子さんの「ベスト・エッセイ」には、何度読んでも飽きない50編のエッセイが詰め込まれていて、毎晩眠る前にその1編を読むのが、眠る前の習慣になっている。こんなに生き生きと情景を語れる人はいないと思う。中原中也は落ち込んでいるときの友。どん底まで落とし込んで這い上がるための荒治療用!?!

何はともあれこうして何の心配もなく、元気に生きていることを何よりもありがたいと思い、この命がある限り誰かのために役に立つ人でありたいと願う。

夜空を背に咲く姿を、彼の地の人を思いながら、ゆっくり眠れる夜が本当にありがたくて、今夜も静かに手を合わせる。祈りの中で一歩一歩。

*最近観た映画  「金の糸」 ラナ・ゴゴベリゼ監督

*最近読んだ本  「革命前夜」 須賀しのぶ