春の足音が聴こえますか
2021年もすでにひと月が過ぎ去ろうとしている。再びの緊急事態宣言が発令されて、不要不急の外出自粛が呼びかけられ、仕事と日用品の買い物で出かける以外は、またじっと家の中に過ごしている。仕事が休みの日には、机に向かって溜まった事務仕事をしていることが多い。パソコンの画面を見つめ続けることに疲れたら顔を上げ、猫の額よりも狭い?我が家の庭を時々ぼーっと眺める。すっかり枯れ枝になっていた紫陽花の枝先にはいつの間にか硬い芽が、枝垂れ梅にも小さな梅色の花芽がポツポツと覗いている。世の中がコロナ禍に振り回され、混沌とした状況下にあっても、自然界は変わらずに時を正確に刻み続けている。大きな天のサイクルの中で、地に根を張って力強く命を繋いでいる植物と同じように、私たち人間も変わらずの命を生きていることを忘れてはいけないよ、という声が聞こえる。
初詣にも行ってなかったとスタジオレッスン後、街の真ん中にある警固神社に立ち寄った。手水舎(てみずや)はコロナ禍での感染予防でたくさんの花々が生けられていた。木枯らしが吹き抜ける境内に元気カラーの花たちが彩りを添えていた。「二礼二拍手一礼」手を合わせて目を閉じたけれど、何の願いも湧いて来なかったので、ただ「ありがとうございます」と心の中で呟いた。参拝後ひいたおみくじは「小吉」小さな吉で充分だなと思った。毎日平凡にこころ穏やかに過ごせたらそれで良いと最近つくづくそう思う。
帰りに立ち寄ったお店で可愛いお花に出会い、元気カラーが大好きだった夫の写真の前に飾った。亡くなる半年前に家族みんなで行った淡路島で撮った写真には、満開の桜が咲き誇っている。最後の家族旅行だった。お花はいいなぁ。人の心をふんわりの優しく包み込んでくれる。人と会ってゆっくり話をすることが出来なくなって、自分に向かい合う時間が増えて来て、気づいたことがいっぱいある。他愛のないことばかりだけれど、そのひとつひとつを大事にしたい。
食べることを大事にしようと思ったこともそのひとつ。毎日毎日出来るだけ丁寧に料理を作る。美味しく作るための労力は惜しまない。栄養のバランスや彩りも考える。元気な野菜をいっぱいいただく。食材を無駄にせず使い切る。こころを込めれば料理も美味しくなる。
朝日新聞の土曜日版「Re ライフ」に連載されている小池真理子さんの「月夜の森の梟」を大切に読んでいる。1月23日には「手」について書かれていた。「認知症が厳しくなった母とは、よく手をつないだ。手を握った。昔から手の温かい人だった。」「最期に向かう日々、夫の手を数えきれないほど何度も握った。うすくなった冷たい手だった。」と。私は母も夫も手を握ったのは、病院のベッドの上の記憶しか残されていない。母も夫も手に浮腫があって、何度も何度も手をさすり、マッサージをした日々を思い出す。最期のときもありがとうと何度も言いながらしっかり手を握って見送ったな。その手の感触は今でも忘れない。
「愛したものたちの手と手がつながれ、果てることなく連なって、銀河の宇宙を漂っている、そんなまぼろしが見える。」そう文は結ばれていた。ヨーガではそれはまぼろしではなくて、私たちの魂は大いなる宇宙(ブラフマン)の懐に抱かれて永遠の命(アートマン)を得るという。やがて私も大宇宙へ旅立ち、再び愛した人たちと手をつなぎ合うのだろうか。それまでずっと温かい手でいたいな。コロナが終息したら大好きな仲間たちと、手を取り合って語り合いたいな。
2月2日は124年振りの節分。節分を境に運気は上昇へ向かうという。上昇気流に乗ってこの1年を元気に生きていこう。地道な一歩一歩を大切に。
*最近読んだ本 「湖の女たち」 吉田修一著
*最近読んでいる本 「風よ あらしよ」村山由佳