パザパ

パザパ pas a pas ・・・フランス語で一歩一歩。頑張らずでも一歩一歩前に進める日々を願って・・・

にこにこの2月が始まりますね

すっかりすっかりご無沙汰になってしまったブログ、ほぼ4か月振りに開いたらブログが消滅寸前!?になっていた。そうだよね。あまりにも長すぎる不在ゆえ、多分もう忘れ去られているだろうなと思いつつながら。気が付けば平成最後の年2019年も、もう1ヵ月が過ぎ去り、早くも節分が近づいている。年は明けたものの、エネルギー的には低迷気味で、この節分を機に運気はやっと徐々に上昇する。その流れに上手く乗って、2019年をしっかり始動しよう。2月はにこにこ笑顔を忘れずにひたすら上昇!!と、こころに誓う。公私ともに私を取り巻く状況も少しずつ落ち着いてきて、じっくり歩き始めるときがやっと始まる。

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先週の日曜日はたぶん1年振りくらいに八女のお寺での瞑想会に参加した。前日降った雪がまだあちこちに残る山道を車で登っていくと、陽に照らされた道路から湯気のように水蒸気が湧き上がっていた。まるで大地が呼吸しているようだなと思い、なんだかわくわくした。登るほどにピーンと張りつめた空気に身を引き締められ、清められながら、見上げると生い茂る木々の向こうに、キラキラと輝く真っ青な空が広がっていた。下から登ること20分、たどり着いた飛形山(449.1m)の山頂近くにある神養寺のお庭には、真っ青な空を背に蝋梅の黄色い花が少し俯き気味に咲いていた。

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久しぶりに仲間に会い、まずは15分座る。1年振りの瞑想会なのでスムーズに集中できるかなとの不安感は、眼を閉じた瞬間にすぐに消えた。ご住職の変わらぬ誘導で、不思議なほどにすんなりと自分と向かい合うときを素直に受け止めることが出来た。それから20分の瞑想を3回行った。参加している仲間の中に、昨年聖地カイラス巡礼を行った先輩がいた。その先輩のエネルギーを座っている間ずっと感じ続けていた。どんなエネルギーかと問われてもこうですと答えられないのだけれど。包まれ、守られているような温かさを感じながら、こころが満たされていく、至福の時間だった。(下の写真はその先輩からいただいた聖地カイラスの麓に広がる湖)

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住職が言われていた「安寧」の境地の入り口は見えたけれど、「静謐」の境地には限りなく遠い自分を感じた。「静謐」とはどんな世界なのだろう。澄み切っていて、落ち着いていて、限りなく静かであること。きっとこの写真のような世界かもしれない。そこに至れたらどんなに幸せだろうか。言葉や理屈で説明できない世界に至りたい、近づきたいという思いで座り続ける。瞑想の入り口にやっと立っているに過ぎない私。その道は限りなく遠い。頭の奥の霧がすっきりと晴れて、満ち足りた思いを胸にお寺を後にした。少しご無沙汰していた瞑想を今年はしっかりやっていこう!そうこころに誓う。

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先日北九州市立美術館でジョルジュ・ルオーの作品を観た。ルオーは熱心なカトリック信者で、キリストの聖顔や、聖書の中の逸話を描いた作品を描き続けた。宗教という魂が確かな世界があるから、迷いなくこんなにも絵の輪郭を確かに描けるんだ、そしてその輪郭を埋める世界をこんな風に自由な色彩で描けるんだ、と感動の思いの中で思った。絵の前に立っていると、こころが清く癒されて、じんわりと目頭が熱くなる。そして「ありがとう」感謝の思いが溢れてくる。好きな世界で満たされた良いひと時だった。
3年前の今日、母が逝った。「いつもそばにいて気づかなかった貴方の大きさ いつもそばにいて返せなかった感謝の思い 別れをくり返すたびに折れない心でいれたのは 愛という真心に包まれていたから」かって出逢った「別れ」という言葉を思い出した。包まれていた母の愛があるから、どんな苦難も折れない心で立ち向かえるような気がする。感謝の思いと共に、久しぶりに「お母さん」と、何度もそう声に出して呼んでみよう。2月は母の誕生月でもあるから、ずっと母を身近に感じ、力を貰って過ごしていきたい。変わらずの一歩一歩。こころ尽くして歩いていこう。

★最近読んだ本 「夜のふたりの魂」 ケント・ハルフ著

        「アルケミスト 夢を旅した少年」 パイロ・ユエーリョ著

★最近観た映画 「私は マリア・カラス」 トム・ヴオルフ監督