パザパ

パザパ pas a pas ・・・フランス語で一歩一歩。頑張らずでも一歩一歩前に進める日々を願って・・・

日々の暮らしをささやかに綴ります その3

8月26日、8月ももうすぐ終わりますね。8月の半分は雨ばかりで気温も低めだったので、また再びの蒸し暑さに体が戸惑っています。朝起きて動き始めた途端になんだか体の重さを感じて、ため息をつく私がいます。おっと、どうしたことか?と戸惑いながら、早速畳の上に横になり体を動かしてみる。わずか5分。捻ったり伸びたり丸まったり。で、回復!体の変化にいつも目を向けて気づいてあげる。そしてそれを和らげることをやってあげる。私の体は一つしかないから、不調に早く気づいてメンテナンスは怠らない。大事ですね。

今日が午後から八女の緩和病院「みどりの杜」でのヨーガ教室へ。2年前に夫は緩和病棟で1ヶ月過ごして旅立ちました。まだ少しその時を引きずっていて、本当はそんな場所での指導には抵抗があったのですが。担当したのは70代後半と80代後半の女性。お二人とも認知障害もありでしたが。少しでも穏やかな時間を過ごせたら良いなと思いながらでした。

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夕方遅く帰宅して30分で作った夕飯。豚ミンチ団子と野菜炒め以外はほとんど常備菜で。トマトって良い役しますね。赤色があると食欲進む!ありがとうトマトちゃんですね。ゆっくり丁寧に料理をしたい。その願いが叶うのはもう少し先になりそうです。でもボケ老人になったら無理だから、早くしないとですね。

日々の暮らしをささやかに綴ります その2

パラリンピックは始まりました。障害を抱えながらも極限まで体を追い込み競技にかける姿は、健常者となんら変わりがないことを改めて思い知らされています。今夜の車椅子ラグビー、凄かったですね。夢中で応援しました。コロナ禍での開催に賛否両論あるけれど、お陰?でこんな風にパラリンピックを観戦する機会に恵まれたことは、良かったなと思います。起こることの全てには、良いも悪いも両面があるんだな。

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そんな夜の夕飯。モチうおの塩焼き。小ぶりだけれどいつになく新鮮で迷わず塩焼きにしました。冷蔵庫の残っていた小ぶりの厚揚げも一緒に焼いて。いやぁ〜美味しかったです。大豆の五目には、大豆は昨夜から水に浸し、今朝アク抜きをしてから圧力鍋て8分間加熱。牛蒡、人参、椎茸、こんにゃくなどを茅乃舎の出汁に薄口醤油、みりんなどで煮ました。良い味でした。今夜はさっぱり和食の夕飯でした。

さて明日は八女のみどりの杜、緩和病院でのヨーガ教室に初めて伺います。こころ穏やかな時間を共に過ごせますように。明日も良い日になりますようにこころ尽くします。

日々の暮らしをささやかに綴ります その1

8月22日は私の誕生日でした。いくつになってもお誕生日は特別な日。母はいつもお赤飯を炊いてくれましたっけ。結婚してからは夫や子供たちが祝ってくれました。祖父母も両親も夫も他界し、私はひとりになったけれど、夫亡き後福岡に転居してくれた子供たちが古希のお誕生日を祝ってくれました。2年前緩和病棟で家族みんなでお祝いした日のことを、あれからいつも思い出します。少し辛くて、でもやはり嬉しいお誕生日でした。

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外でのお祝いは無理なのでテイクアウトを駆使してのお誕生日ディナー。楽しく美味しくいただきました。子供達に迷惑を掛けないよう、体もこころも出来るだけ元気に歳を重ねなくてはと改めて思いながらでした。頑張ろう!わたし。

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友人から思いがけないお誕生日プレゼントが届きました。辛党の私はケーキを買うことは皆無ゆえ、届いたケーキのあまりもの素敵さに感動でした。早速コーヒーを淹れていただきました。「うん?!美味い!!」美味しいものを食すと人は幸せになる。そんなシンプルな感動に気づかされ元気もらったお誕生日でもありました。

ささやかな日々、ささやかな感動。それが今を生きる力を与えてくれる。そう思います。

セーヌ川 クルーズ&ライブ満喫しました

今週日曜日(5月30日)パリ在住の辻仁成さんのセーヌ川クルーズ&ライブを満喫しました。正直言って、辻さんの音楽の大ファンというわけではないのだけれど、彼が主催する地球カレッジの「JINSEI STORIES」の日記を毎日楽しみに読んでいて、このライブのことを知った訳でした。コロナ禍の大変なときにこのライブを思い立ち、セーヌ川の船上からのライブ配信という画期的な企画の実現に向けて、無謀だと何度も反対を受けながらもついに実現へ漕ぎつけたそのエネルギーに感動した。そしてチケット発売と同時に迷うことなくチケットをゲットしてこの日を楽しみに過ごしてきた。19時開演ということでややフランスらしい?ディナー?を準備し、この夜のために奮発したワイン(ポルトガルワイン)もグラスに注ぎ5分前からスタンバイ。後は乗船?を待つだけ。

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しかし・・・「うん??」19時過ぎても画面は動かず、30分経っても。「船長が行方不明らしい」チャットにそんな情報が流れる。「え??」すでにワイングラスは空に。二杯目を注いで画面を見つめ続けているとやっとやっと繋がった!!しかし・・・・繋がって音楽が聞こえ始めた途端、画面が固まった。そして音楽も途絶える。「うん?」チャットには「大丈夫!きっと繋がる」「頑張れ!」といった温かい声援が次々投稿される。いいファンばかりで幸せだな、となんかほんわかとこころがあたたかくなる。そしてオープニングの曲が終わりくらいになってやっとやっと繋がった。そこには真っ青な空、パリの空が!一瞬にしてパリの空の下にいるような一体感に包まれていく。あー!!私は今、パリの空と繋がった!!

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実は辻さんの歌を聞くのは初めてだったけれど、すぐにその世界に惹き込まれていった。3人のミュージシャンも素晴らしかった。ポーランド人のバイオリニスト。ブラジル人のドラマー。日本人とフランス人のハーフのピアニスト。ほとんど即興だったらしい彼らの奏でる音にも釘付けになった。エッフェル塔自由の女神が、オルセー美術館ルーブル美術館と曲の合間には辻さんの観光案内?も入って、かって何度も訪れた懐かしいパリの街を、その時の思い出を重ねながら胸がいっぱいになる。

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40歳を過ぎてからフランス語を学び始めた。動機はフランス映画が好きでいつか字幕なしでフランス映画を観たいと思ったから。またその時に働いていたスポーツクラブにフランス人がトレーニングに来ていて、彼らの話すフランス語の響きに魅了されたからでもあった。お茶の水にあったアテネフランスに通い始め、福岡に転居後もそれから10年以上学び続けた。その間フランスには毎年1回は通い続けた。1ヶ月の夏季講座に参加するために南仏のモンペリエ大学の寮で過ごしたこともあったな。その後も一人旅を続け、留学している友人を訪ねたりもしたな。どんなときもパリはフランスに降り立ちまず最初に訪れる街であり、帰国する前の最後に訪れる街でもあった。セーヌ川を挟んで左岸と右岸。一人でどれだけ歩いたことだろう。

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パリに来ていた友人の案内で蚤の市をずいぶん回ったこともあった。オペラ座近くの焼き鳥屋でたまたま観光に来ていた友人と再会をして語り合った夜もあった。一人で立ち寄ったカフェやレストランで、フランス語が通じたときの嬉しさは今でも忘れないな。セルジュ・ゲンスブールSerge Gainsbourgのお墓に行って手を合わせたこともあったっけ。数えきれない思い出は次々に沸き上がって来る。修復中のノートルダム寺院の姿が見える。2024年には完成予定だとか。パリでオリンピックが開催される年だとか。その頃にはすっかりコロナは終息してマスクの生活から解放されているのだろうか。

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2時間に及ぶライブの最後の曲は「パリの空の下で(Sous le ciel de Paris) 」だった。心の中で一緒に歌っていた。チャットには「涙が・・」「コロナを忘れてます」「涙が止まりません」「絶対パリに行きます」次々に流れる言葉に私も同感!!みんな我慢して頑張って来たんだよね。姿は見えないけれどこのライブで共に感動を分かち合っている人たちがいる。異国の地で大変な状況を耐えて頑張って来た人たちのことを思う。コロナが終息したらまたパリに行こう。それまで錆びついたフランス語をなんとかしなくては。ありがとう、辻さん。フランス政府から観光大使に任命されたとか。益々多方面での活躍を応援しています!!たくさんの元気を貰った辻仁成さんの「セーヌ川 クルーズ&ライブ」最高でした。 今週末まで配信ライブを何度も楽しみます。Merci beaucoup !!(写真はライブ配信からスマホで撮影したもの)
 
■最近愛用本 「父ちゃんの料理教室」 辻 仁成著
■最近読んでいる本 「本心」 平野啓一郎

紫陽花が似合う季節になりました

例年より1ヶ月ほど早く梅雨入りして、紫陽花が元気な季節が始まっている。ときは流れ季節は逝き過ぎても、コロナ禍の日々は相変わらず続いている。やっとやっと高齢者へのワクチン接種が始まったけれど、福岡の緊急事態宣言は発出されたままで、厳しい制限下の生活を強いられている。公的機関でのヨーガ指導はもう1ヶ月出来ないままで、急な閉鎖になり突然会えなくなった皆さんはどうしているのだろうと案じながら、元気に過ごしていますか?お家でヨーガされてますか?と、こころの中で問いかけている。友人のお店は休業を余儀なくされている。不平不満は言いたくはないけれど、ずっとずっと耐えてきたわたしたちのことを、この国の指導者は本当に理解しているのだろうか?

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公的機関での週3回のレッスンが出来なくなり、今はスタジオやスポーツクラブでのマスクをしてのレッスンと、我が家からのリモートでのヨーガ指導を行っている。長い長い自粛生活で我慢が習い性になっていて、知らないうちに自分を押さえ込んでいて、体もこころも実は疲れ切っているのに、そんなストレスに気づかないまま体の不調を感じてる人が多いように思う。ヨーガの指導を行いながら、自分のこころの声に耳を傾け、少しの変調に気づいて欲しいと声を掛ける。今、何よりも自分を大切にしていますか?と問いかる。微力な私に何が出来るのか?時々訳もなく自信を失い立ち止まってしまうこともあるけれど、それでも前を向いて自問自答しながら相変わらずの日々を過ごしている。

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車で仕事に出かけたり、日常の買い物で外出する以外はずっと家にいる。実はお家大好きのインドア派だから家にいても一向に飽きない。掃除はそんなに得意ではないけれど、整理整頓は好きだから、日の半分を過ごす机周りや台所の引き出しなどを出来るだけスッキリと片付けている。机の上はリモート用のカメラやマイクやパソコンが鎮座している。携帯のradiko文化放送を聴きながら、レッスンの内容を考えたり、レッスンの反省をしたり、パソコンで資料を作ったり、メールを送ったりとほとんどこの場所で過ごす。気分転換は料理。美味しい食事をゆっくり味わいながら食べたい。だから労苦は惜しまない。料理をしているときは何も考えない。無心で野菜を刻む、肉をこねる、炒める。作った料理を並べて写真を撮る。もう1年以上、毎日インスタのストーリーに載せている。携帯の中には夕飯の写真が、思い出がいっぱい詰まっている。

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母の日に娘が蝶々を刺繍したブローチを作ってくれた。青い色のグラデーションが素敵で私の大好きな藍の服につけるとぐんとグレイドアップする。ターコイズラピスラズリーの輝きを持つターキッシュバタフライという、トルコに生育する世界三大秘蝶の一つをイメージしたとか。コロナ禍で各地で行う予定だった仕事が延期になり、お出かけ大好きな娘には我慢を強いられる日々が続いている。今はしっかり腕?を磨いて私世界を構築しながら、そう、今は熟成するとき!そう思ってコロナ後の飛躍を目指して頑張って欲しいと母は密かに願っている。

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スタジオでのレッスンに出かけたついでに、久しぶりにスタジオ近くのキノシネマに映画「ファーザー」を観に行った。とにかく父親役のアンソニー・ホプキンス、娘役のオリヴィア・コールマンの演技の素晴らしさに圧倒された。父親のアンソニーの現実と幻想に揺れる世界に観客も同時体験をしながら物語が進んでいく。アンソニーと一緒に戸惑い、怒り、怯え、やがてその全てが見えたとき、やっと安堵の思いと共にアンソニーが辿り着いたこころの場所に涙する。迷い揺れ戸惑いながらも人はやがてその全てを乗り越えた場所に導かれるのだろうか。やがて私もそんな体験をするのかもしれない。まぁそれも悪くないかな。観終わった後、生きてる命の今が愛おしくて、誰かをそして私をぎゅっと抱きしめたくなった。良い映画だった。
今年も半分が過ぎ去ろうとしている。さぁ、気持ちを切り替え変わらずの一歩一歩を、もう少し頑張ろうかな。

*最近読んだ本 「クララとお日さま」 カズオ・イシグロ著 

        「原田マハの印象は物語」 原田マハ
*最近でもないけど見た映画 「ノマドランド」 クロエ・ジャオ監督 

               フランシス・マクドーマンド

*最近観た映画  「ファーザー」 アンソニー・ホプキンス  /  オリヴィア・コールマン
          

駆け足でやってきた春に戸惑っています

ここ福岡の地は、例年よりも早く多分日本で一番早く桜が咲き始めた。そして開花後一気に気温が上がり場所によっては既に散り始めている。昨年の桜と同じように、今年もマスク着用でもちろん桜の下での宴会?もなしで、ただ静かにひとり桜を眺める。そうかぁ去年の桜のときも同じだったんだ。もう1年近く人との接触を避けて、外出時には必ずマスク着用の生活が続いている現実に、時々胸が塞がれる思いになるけれど、自然界は変わりなく時間を刻み季節がめぐり春を告げる。花が咲き、花が散り、若葉が茂り、やがて枯れ、そして散る。その姿は刻々と変わっても、しっかりと大地に根を張る「木」の本質は変わらない。自然の姿に気持ち立て直す。

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5年前の春、夫の手術後、入院していた病院の庭に咲いていた桜の下を通りながら、重い気持ちを抱えて病室に向かった日々を、昨日のことのように思い出す。一向に回復しない症状にくじけそうになる気持ちをなんとか晴らそうと、病室の窓から何度も桜を眺めたっけ。退院後はずっと抗がん剤の投与を続けながら、3度の春を一緒に過ごした。いつも行ったのは油山の麓にある貯水場の近くにある桜並木だった。途中のスーパーでお弁当を買って、レジャーシートを敷いて弁当を食べて、ただそれだけのお花見。ただふたり静かに桜を眺める。そんななんでもない平凡な日々は、決して長くは続かないことを実は思いながらだったけれど。ひとりで眺める桜の春にまだ慣れないでいる。あれから2度目の春になっても、あの場所だけにはまだ行けないでいる。

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先日の朝日新聞『「魂」はそこにある』という京都大学名誉教授、佐伯啓思氏の記事が胸に落ちてきた。戦後の日本についてアメリカの文化人類学者ルース・ペネデイック氏は著書「菊と刀」において、西洋文化は「罪の文化」であり、戦後の日本文化は「恥の文化」であると解く。神さまの前で罪を懺悔する西洋文化と、世間体への恥を道徳概念とする日本文化。確かに、世間体を気にする文化は日本の社会に根強く残っている。佐伯氏は戦後70年、日本が失ってしまった「魂」という概念を、2001年の震災が日本人がかって持っていた「魂」を「霊性」を取り戻す契機となれたのではという。喪失の悲しみに打ち塞がれた日々から立ち上がろうとするときに、亡くなった人に見守られている、その魂に恥じない生き方をしなくてはという、「霊性」への回帰が背中を押して、生きる力へと昇華していったという。確かに私も亡くなった親に恥じないように、先に逝ってしまった夫に心配を掛けない生き方をしなくてはと、今は私の霊性が生きる支えになっているように思う。「魂はそこにある」良い言葉だな。

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スタジオレッスン後、映画「ミナリ」を観に行く。韓国映画だけれど、監督もスタッフもほとんアメリカで生まれ育った韓国人。農業での成功を夢見てアメリカに移民した韓国人一家が、様々な困難を乗り越えながらたくましく生きていく姿を描いた作品。異文化の中で多くの困難に翻弄されながらも日々懸命に生きる姿に、胸の奥にしみじみと温かさが染み渡っていくようだった。幸せって成功をすることでもなく、お金持ちになることでもなく、実はとてもシンプルでささやかな日常にあることを、ひとりひとりのこころの中にあることを、見終わって素直に嬉しく感じられた作品だった。第36回サンダンス映画祭でグランプリと観客賞を受賞したとか。国を超え人種を超え、実は共通のテーマであり思いであるのだろう。

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狭い庭の花たちが元気に春を謳歌するように咲いている。夫が2年前に植えたチューリップの球根は、去年は一株だけど花を咲かせたけれど、今年は結局どれも花を咲かせることは出来なかった。仕方ないね、葉が伸びただけのチューリップに声をかける。季節は行き過ぎる。いよいよ2021年度、新年度が始まる。相変わらずモヤモヤする思いを抱えたままだけれど、何か新しいことを始めたいな。ワクワクするものにこころを満たしたいな。始まりの4月、出会いの4月。「身口意」の言葉通り、行うこと(行動)、言うこと(言葉)、思うこと(こころ)がひとつになっているか問いかけながら、出来るだけ気持ちに正直に過ごしていこう。4月も変わらずの一歩一歩。
*最近改めて読んだ本  「三つ編み」 レティシア・コロンバニ著

*最近観た映画    「ミナリ」 リー・アイザック・チョン監督&脚本

 

早春の候 弥生三月が始まりますね

気温の変化の激しい日々が続いている。昨日は一気に気温が上がり4月下旬の気候だったとか。最高気温2度、粉雪が舞っていたのは一週間前だったか。あの日、横殴りの雪に庭に咲き始めた枝垂れ梅やクリスマスローズの花たちがじっと歯を食いしばって耐えていたっけ。今日は昨日以上に気温が上がり、眩しいほどの陽射しに花びらを全開にして嬉しそうに咲いている姿に癒された。コロナ禍で遠出が出来ないから、狭い庭の小さな世界に随分救われているなと改めて思う。

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やっとほっとする日曜日は相変わらずどこにも出かけず、お家でゆっくりと過ごした。いや過ごしたいといつも思うけれど、溜まった家事やデスクワークを朝から片付けているとあっという間に夕方になった。この1週間で机の上に積み上げられた資料などに目を通し、整理してスクラップする。気になる新聞記事を切り取ってファイルに収める。1週間分のレッスンメモに目を通して、気になるところを見直したり、大事な言葉に下線を引いたりとやることは限りなく、いつも半分も終わらずに夕方になる。日曜日が2日欲しい!日曜日の夜にはそういつも思う。

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夫が亡くなる前の年に植えた枝垂れ梅が、今年も少しだけ花を付けた。可愛いね!と声を掛けて写真を撮る。庭には夫が手作りしたものがいっぱいあって、庭を眺める度に夫を思い出すことになる。余命宣告を受けてから自分がいなくなっても忘れないように、思い出すようにと言いながら、隣の家の境に竹で塀を作り、庭石を敷き詰め、花を庭木を植えていた。お陰で庭を眺める度に思い出す。強い人だったなと改めて思う。数年しか生きられないと言われたら、私は何をしたいと思うだろうか。
昨日は床の補強に板を半分に切って敷こう思い立ち、縁側に板を置いてノコギリを手に格闘した。日本人はノコギリを手前に引く。欧米人は前に押す。三頭筋のシステム?が違うからと聞いた気がする。お腹にグッと力を入れて引いては押して、交互にノコギリを動かし続け30分近く格闘する。かっての夫の仕事を今は私がする。ひとりからふたりへ。そしてまたひとりへ。そうして人はいろんなことを受け入れながら、歩いていくんだよね。出来るだけ素敵なひとりでいたいな。

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先週の朝日新聞に「今こそ伊藤野江の声を聞く」という見出しで、100年前婦人解放に取り組んだ女性活動家伊藤野江のことが取り上げられていた。M氏の女性を蔑視発言が議論を呼ぶ中、没後100年にあたる今、野江にやっと世間の目が向けられているとか。最近「風よあらしよ」(村山由佳著)を読んで、初めて伊藤野江の壮絶な生き様に触れとても興味を惹かれた。100年前、女性解放の声をあげることがどれほど大変であったか。想像することも出来ないほどの困難にもめげず、最愛の人、大杉栄と闘い続け、わずか28歳で憲兵隊に虐殺された。あれから100年、この国の女性たちは本当に解放されたのか?

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我が青春の頃、4年制大学に行くというと「女のくせに」と言われた。通った女子大にジーンズを履いて行ったら、「ジーンズはアメリカの農夫が履くもの」と言われた。働いていた地方の企業では、寿退社が慣例だった。結婚適齢期というのもあったな。私はそのすべてに抵抗し続けながら、壁にぶつかり挫折を繰り返し生きて来たように思う。その頃より女性への偏見はかなり改善されたけれど、上野千鶴子さんに言わせれば、東大の女性学生の割合はわずか2割に過ぎない。女性の社会進出は欧米に比べてダントツに低い。管理職、国会議員など女性の割合は相変わらず低いまま。コロナ禍の中でじっくりと考える時間は充分にある今、100年前の野江たちの声に耳を傾けて見つめ直す良い機会だと思う。

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庭の雑草を抜こうとして、枯れ枝のような紫陽花の間に小さな名もなき花が咲いているのに目が止まる。大丈夫、抜かないよ!と声を掛ける。雑草のように懸命に生き抜いたかっての時代の人たちを重ねる。コロナ禍で自分に向かい合う時間が増えてことで、気づくことがいっぱい増えた。今は雑草の私にいっぱい肥料を水を与える時期なんだね。コロナ後、芽を出し花咲くためにもうしばらく頑張ろう!ってまだ咲く気ですか??弥生三月も焦らず一歩一歩です。

*最近読んだ本  「押し、燃ゆ」 宇佐見りん著

         「青空のむこう」 アレックス・シアラー著

*最近観た映画  「素晴らしき世界」 西川美和監督 役所広司主演