パザパ

パザパ pas a pas ・・・フランス語で一歩一歩。頑張らずでも一歩一歩前に進める日々を願って・・・

フィンランドというと・・・・その2

再びのヘルシンキ旅便り?!書き始めたらやめられなくなり、こうなったらあくまでも私の個人的旅日記として綴ることにする。
ヘルシンキ3日目は港からそのフリーチケットを使い、フェリーに乗って20分くらいのところにある、要塞の島スオメンリンナに行く。昨日駅のキオスクで5日間有効のDay Ticketsを買った。ヘルシンキのバスや地下鉄やトラム(路面電車)やフェリーにも乗り放題で使えるチケットは5日間でわずか24€。日常品の消費税は14%、それ以外の贅沢品は24%。だから公共の交通機関はかなり安い。

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港に行き、フリーパスが使える公共フェリーに乗って、スオメンリンナ島へ向かう。昨日の不安定な気候がうそのように快晴の空、ピーカン!!お供はもちろんカモメ。
スオメンリンナは1748年に築かれた海上要塞の島で、1991年世界遺産に登録されたという。全くの予備知識がないままに島が近づいてくる。で、あっという間に到着!!とにかくこの島の歴史を調べなくては!!と、スオメンリンナ博物館に行く。フェリーに乗っていた人たちはどこに行ったのか、館内は私たちだけ。島の歴史を上映する部屋も同じく。25分間日本語での紹介をセレクトして、全く知らなかった島の歴史を知る。
バルト海にあって、スウェーデンの統治下にあった時代から、ロシアの自治領になり、英仏艦隊の襲撃やフィンランドの内戦、そして第二次世界大戦の軍事基地として、常に闘いの渦の中にあった。この場所で一体どれほどの人の命が奪われたことだろう。

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1918年要塞はフィンランド領になり、1978年フィンランド駐屯部隊が撤退して、島はやっと教育文化省の管轄となる。そして1991年、要塞が軍事施設のユニークなモニュメントとして、ユネスコ世界遺産に登録される。現在は800人のヘルシンキ市民が居住し、また要塞で活動する多くの工芸作家や木造帆船を修復する職人たちによって、フィンランドの伝統工芸が維持され、また毎年多彩な文化イベントが開催されている。(「海上要塞スオメンリンナ」より)

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 洞窟があり、砲撃へと切り抜かれた窓があり、闘いに明け暮れた島の昔を偲びながら、島のあちこちの残された遺跡を歩く。強固な石の文化だからこそ今の時代にも伝えられるんだな!と、改めて思う。無言の遺跡が語る声に耳を澄ませ、ひんやりとした迷路の道を歩く。

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絵筆をとってこの景色を描きたい!!そう思う場所がそこかしこにある。まさに印象派の世界!!光が風が限りなく優しい。少し空腹を覚え時計を見るとお昼近い時間に。もう随分歩き回っていることを知り、でもたくさんの人で賑わう島内のレストランで食事する気分でもなく、結局フェリー乗り場まで戻ってサンドイッチをゲットして、海を眺めながらのランチタイム。
おこぼれを頂戴しようと居座るカモメのかなり高い声を聴きながら・・・

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再び歩き出し到達した島の最南端の海岸では、ビキニの女性たちが日光浴をしていた。海の向こうにはヘルシンキの街並みが、真っ青な空にはカモメが気持ちよさそうに旋回する。
島の南西にあるクスターンミエッカの土塁と西方に向けられた大砲がロシア統治時代を今に伝える姿で目の前に見えてくる。その向こうには限りなく静かで平和な青い青い空と海が・・・・。戦争に明け暮れた島の歴史を想い、今の平和を輝く空や海を静かに抱きしめる。もう少しこの場所に座って、海を眺めていたい、そんなこころを抱え、やや日焼けした体を抱え、再びフェリーに乗り、フェルシンキに戻った。
ヘルシンキ3日目はその歴史に触れた1日だった。明日4日目はバルト3国エストニアへ。旅はまだまだ続く・・・・・

フィンランドというと・・・・・・その1

フィンランドというとあなたはまず何を思い出しますか?」敬愛する村上春樹氏の著書「ラオスにいったい何があるというんですか?」の中の「フィンランド編」冒頭はこんな文で始まる。で、私はまず何を思い出したかというと、フィンランドを代表する映画監督、アキ・カウリスマキの映画世界、マリメッコ、イケヤ、ミートボウル、ムーミン・・・・。そうだ映画「かもめ食堂」も。結構いっぱい思い出した。そうかぁ、次に旅をするならフィンランドだな。そうひそかに思っていた。

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そしてこの春、福岡、ヘルシンキ間に直行便が就航し、遠い国の距離が一気に近づいた。今、行かなくては次はないかもしれない!!なぜか少し焦り、慌てて仕事を調整してヘルシンキへの旅を決行した。ヘルシンキ6泊のホテルと往復の飛行機を旅行社に頼み、ヘルシンキに向かう機中で行くところリストを作り、で、あっという間にヘルシンキの街に立っていた。

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とにかく移動の利便性を第一に、ヘルシンキ中央駅から歩いて3分のところにあるホテルにした。荷物を置いて早速周辺を散策する。あいにくの曇り空ながら、暑くもなく、寒くもなくぶらぶら歩きにはちょうど良い。北欧デザインのおしゃれなお店を眺めながら、エスプラナーディ公園を歩いて港へ。かもめがいっぱい!!低空飛行するカモメを避けながらマーケット広場を歩く。数時間前にヘルシンキに着いたばかりなのに、なんだかすっかり歩きなれた街に思えてくる。呼吸がし易くなったといったら良いのか。気取らない街、空気感、空や風やかもめの声が、とても自然に体を包み込んでくれる。好きだわ、この街。

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港だけではなく街の通りにも公園にもかもめがいて、高い音で鳴く声に最初は少し驚いた。ヘルシンキといえば、やっぱ かもめだね!
二日目はこの街の散策開始!!まずはデザインが素晴らしい二つの教会に行き、北欧のかみさまにご挨拶をすることから始める。

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木の教会 カンピ礼拝堂は地下鉄の駅へ流れていく人が交差する広場に、すっきりとモダンな姿でそこにあった。この礼拝堂では開館中、教会関係者や市の健康・社会福祉部の職員が待機していて、国を問わず助けを必要としている人の相談に応じているという。礼拝堂は11,5mの高さがあり、外壁はトウヒ、内壁はハンノキで、建具や扉はセイヨウトネリコという三種の木で出来ているという。温かい光に満ちた礼拝堂に座って、静かに目を閉じてかみさまに私の思いをお話ししたくてすこし座って目を閉じる。まるで日本のお寺で座っているかのように、すーっとこころが落ち着いていく。形は違うけれど、木のパワーかな。ずっとここにいたい!そう思える場所だった。

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次は一転、岩の教会、テンペリアウキオ教会へ。自然の床岩を切り出して、くりぬいて作った斬新なデザインの教会は、ヘルシンキ観光の目玉スポットで、とにかく観光客でいっぱいだった。確かにその内部は圧巻!!くりぬいた岩で壁を造り、銅板の屋根を支える柱の間にはガラスがはめ込まれ、光が降り注ぐ。岩に包まれたパイプオルガンが奏でる音は、体の芯へと響いていく。「ここはほんとすごいね!」トイレ待ちで並んでいた時に話したオーストラリア人の女性と、感動を分かち合った。
今までの人生で、実にさまざまな教会を訪れてきたけれど、このような教会は初めてだった。木と岩、どちらも自然な素材を活かし造られている。だからかな、自然のかみさまがそこに、きっといるんだよね。

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初日は北欧のかみさまに出会い、ちゃんとご挨拶をして終わった。戻って来た駅前は暮れない夜と共にたくさんの人が交差していた。夕食は昨夜のレストランの量の多さに恐れおののき?今夜はデパートストックマンのデパ地下ご用達のデリをホテルの部屋でゆっくりいただくことに。夜9時を過ぎても外は明るく、カーテンを閉めて夜のモードに切り替える。街はまだ賑わっているのだろうなぁ・・・そう思いながら二日目の夜に眠る。
三日目はフェリーに乗って要塞の島、スオメンリンナ島へ。一回で終わろうと思ったヘルシンキの旅、やっぱ無理!!迷惑ながらこれからしばらく続く。

まだまだ頑張れる?!水無月に思うこと。

梅雨入り後ながら、未だそれほど湿度も高くなくまずまずの日々が続いている。私は相変わらずに元気で、特に痛いところもなく、何を食べても美味しくて、体を使って指導をする仕事を、多い日は1日3レッスンもこなせる体力と気力を保ち続けている。この夏にはいよいよ65歳になりわずかながらの年金も支給されるし、立派な高齢者になる身ながら。こんな元気な老後を送れるなんて、若いころの私からは想像が出来なかったなぁと改めて思う。元々運動音痴で全く体を動かすこともなく、結婚して出産後、すっかり体力が衰え、低血圧の頭痛持ちで疲れたらとにかく横になって休まないと役に立たないという情けない体だった。で、30歳になってから、このままでは老後は悲惨なものになる!!そう一大決心をして体つくりを開始した。

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以来35年、ジョギング、エアロビクス、クラッシックバレー、ジャズダンス、ウエイトトレーニング、気功、ヨガ・・・・ありとあらゆることをやり、結局ヨガが残った。(さすがに運動音痴ゆえ団体で行う球技は無理だったけれど)で、今はヨガの指導者として、この歳になっても働き続けている。人生わからないなぁ・・・と、改めて思う。そんな私がチャレンジしたくて未だ手を出せないでいるのがフルマラソン。自分を極限まで追い込む世界に憧れているものの、勇気がなくて結局一度もチャレンジできないまま現在に至っている。世の中で尊敬する人は小説家とマラソンランナー。

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そんな私の思いを知らないであろう息子が、極限も極限、山を駆け上がり駆け降りる過酷なトレイルランに挑戦を続けている。去年、京都比叡山で開催された「比叡山トレイルラン」に初挑戦し、ダントツビリながら完走した息子は、今年もまたその山を走った。しかも去年のタイムを2時間近く縮めて完走。忙しい仕事の日々、週末はほとんど京都の山を走り続けていたという。すごいな!!と、本当に思う。
そのレースの一部始終を綴ったブログ「今年も比叡山国際トレイルランを走りました」を読んで、母は泣いた。すっかり泣き虫になった自分に、歳だわとひとり語ちながら。ラストランは愛するお嫁さんと手に手を取って!!なんて素敵なん!と、このツーショットに幸せマーク一杯になった。

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スタジオやスポーツクラブ以外の場所で指導するときの必需品はヨガマットとラジカセ。そのラジカセがまたまた壊れた。ほぼ5年おきくらいに買い替えている。で、ヨドバシに走る。ラジカセは???ない!近くにいた販売員に聞いたら、このスピーカーを勧められた。JBL  HARMAN のスピーカーが今一番人気らしい。え???そうかぁ、もうCDは必要ないんだ。しかもラジカセよりずっとコンパクトで持ち運びも楽!!新しいもん好きな私は即買い!「色は何色が?」「オレンジ」迷わずそう答える。相変わらず第一のチャクラ、決断力を司る尾骶骨パワーは強い!!帰宅後早速スマホにレッスンで使う音楽を入れ、オレンジスピーカーで聴いてみる。丸いスピーカーから音が全方向に広がり、音もラジカセよりずっと重厚感がある。防水加工もあってお風呂でも野外でも使えるという。なんか嬉しい。家電オタクの私。

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映画オタクでもある私が大好きな監督の一人はフィンランド人のアキ・カウリスマキ監督。「浮き雲」「愛しのタチアナ」「過去のない男」「街のあかり」など、ずっ観つづけて来た。そんな監督の国へ死ぬまでに一度行ってみたいと思い続けて来た。福岡、ヘルシンキ間が今春4月から10月まで試験的に?直行便が運航されることを聞いてひそかに狙っていた。で、今月末、第5週でレッスンもないし、後はなんとか代行レッスンを頼めそうなので、行くことにした。憧れの街、ヘルシンキへ・・・・カウリスマキ監督の映画の世界&日本映画「かもめ食堂」の映画の世界はもちろんながら、大好きなマリメッコイッタラなどの素敵な北欧デザインも見逃せない!やはりながら北欧の森にも行ってみたい。ついでに隣国エストニアの首都タリンへも足を伸ばし・・・往復の飛行機とヘルシンキのホテルは抑えたから、後はのんびり気ままに北欧の夏を楽しむつもり。

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この数年はずっとインドへの修行の旅ばかりだったから、そんな世界から離れた旅は本当に久しぶりだな。日常から離れた場所で、私はどんなことを感じ、自分をどんな風に見つめ直すのかな?村上春樹の「ラオスにいったい何があるというんですか?」の中に、ヘルシンキを旅した「シベリウスカウリスマキを訪ねて」という章がある。春樹さんの旅を等ってみたいという思いもある。「旅先で何もかもうまくいったらそれは旅ではない」・・・確かに!!大変だった旅ほど記憶に深く刻まれている。どんな大変に出会うかな?楽しみにしながら旅支度をしようかな・・・・でもその前に・・・・
今週も一歩一歩、信じた道をこころ尽くし歩いていこう。

★最近観た映画  「永遠のヨギー」  ヨガをめぐる奇跡の旅  ヨガナンダの生涯
         

 

ひと針ひと針 & 一歩一歩

今年の皐月の空は気まぐれに移り変わり、暑かったり寒かったりと、例年以上に大きな自然の現象のジェットコースター的変化に振り回されていたっけ。で、いきなりの真夏日!暑い!まさかの夏日到来?5月に既にこの暑さですか!!と、呆れつつ、大汗かいての週末レッスンを終え、やっとやっとの仕事オフの日曜日も、朝9時からカウンセリング中級講座へ。1日缶詰で学ぶ。
鎌田先生の講義は実に興味深い。集中してひと言も聞き洩らさないようノートを取り続ける。講義の後はグループに分かれ、一人が最近あった感情的になった出来事を語り、他の人がその感情の目的について聴いていく。「執着とこだわりがあるからこそ感情が作り出される」・・・・自分の感情を分析され、感情の元になっている自分のこだわり、執着が露呈される。客観視しているつもりが、まだまだ浅いことに改めて気づかされる。「気づいたら実行!!ではなく、まずは実験!のつもりで。自分を苦しめている一番の加害者は、実は自分自身。自分がただこだわっているだけ。世の中は実はとてもシンプルなもの。ストレスは自分で作って増幅させている」
変われるかな、私!?!まずは実験を開始しよう。

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この講座にも熊本の療法士仲間は参加をキャンセルされていた。熊本はまだまだ大変な状態が続いている。家が全壊された療法士も数名いるとメールが入る。お腹が痛くて病院に行ったら腕が骨折していると言われたという。自分の体のことは後回しで、頑張っている仲間を思うと胸の奥が痛くなる。倒壊した家屋の片付けとかは、体力あるから出来ると思うけれど、高齢者が行ったらかえって迷惑になるし、ヨーガ療法士としてこころと体のケァーで行きたいけれど、現地はまだ受け入れる状態ではないようだ。だから今は祈るしかない。毎朝の瞑想の中で祈り続けている。

「誰かのために祈ると、脳の中に幸せホルモン、オキシトリンが放出されて、免疫力が上がる。たとえこころ塞がる思いに囚われていても、誰かのことを思い、その人のために祈っていると、自分のこころの強さやしなやかさが引き出される」(聖路加国際病院、腫瘍精神科 保坂 隆先生より)わたくしごとをここに置き、大切な人を、私の親しい人を、そして生きとし生けるものを思って祈る。祈る力を信じたい。

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最近、刺繍作家(装苑6月号参照)として地味に活動を続けている娘の作品で、背中にインドの神さまのひとり、ガネーシャが刺繍されたスカジャンを手に入れた。作品展用に作った作品のひとつで、幸い?売れずに残っていたので、ヨーガを究める母としては、手に入れんば!!と思い、買います!コールをしてゲットした。
ガネーシャはインドの神さまの中でも大好きな神さま。インドの神さまの中には、日本にそのまんま輸入?された神さまが多い。例えば大黒天のシバ神、弁財天のサラスヴァティーなど。ガネーシャも聖天として平安時代に日本に渡って来たそうだが、あまり根付かなかったよう。確かに日本には象さんはいなかったからね。でもガネーシャは、智慧と繁栄をもたらす神さまとしてインドでは庶民に一番愛されている神さまだ。インドの街角ではいつでもガネーシャに出会える。

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その神さまを娘が実に丁寧に刺繍した。娘は、コンピューターが描くデジタル世界とは真逆の、実に地道な手仕事に自分の表現の世界を探し続けている。小さいころからお喋りなお兄ちゃんに比べると、何も言わずに我が道を黙々と!というタイプだった。「こうしたらいいよ」と言ったら、一応頷き、でも決してそうはしなかった。そう、頑固もんだった。そんな頑固もんだから、ひと針ひと針、地道に刺して自分世界を描いていく手刺繍は、合っているのかな。
アートの世界を生業として生きていくのは、中々難しい。どんなことでも好きな世界でお金を稼ぐことが出来たら、本当に幸せだな、と思う。でも、お金を稼げなくても、自分にとっての生きる意味をちゃんと持って生きている人が一番幸せなのかもしれない。
「あなたの人生で生きる意味は何ですか?」ケント・M・キース氏はそう私たちに問いかけられた。

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大宮の学会で講演をお聴きしたケント・M・キースさんの「逆説の10ヵ条」を思い出している。キースさんがハーバード大学の学生だった19歳の時に書いた「逆説の10ヵ条」が、世界中に広まり、やがてインドのマリアテレサの目に留まり、その著書でも紹介されている。

「逆説の10ヵ条」

・人は論理的でもなく、不合理で、自己中心的だ。それでも人を愛しなさい。
・あなたが良いことをしても人はわがままだと非難するし、動機を邪推する。それでも良いことをしなさい。
・あなたが成功するとまやかしの友人と本当の敵を得る。それでも成功をしなさい。
・あなたがする今日の良いことは明日には忘れられる。それでも良いことをしなさい。
・正直さと率直さはあなたを傷つけやすい立場に追いやる。それでも正直で、率直でいなさい。
・最大の着想を抱く、心の最も大きな男女も、最低な考えを抱く、心の最も狭い男女によって打ち落とさ れてることもある。それでも大きな着想を抱きなさい。
・人は弱い者に同情しても、優勢者に追随する。それでも弱いもののために戦いなさい。
・あなたが何年もかかって築きあげたものが一晩で破壊されるかもしれない。それでも築きあげなさい。
・本当に助けを必要としている人をあなたが助けようとすれば、非難されるかもしれない。それでも人を助けなさい。
・あなたが持っている自分の最善を世のために尽くしても、酷い目に合される。それでも、世のために最善を尽くしなさい。

ひとつひとつの言葉が改めて胸に響いてくる。会場で質問を受けた時、自分のやっていることが偽善ではないかと悩むことがあるという青年に対して、彼はこう答えた。
「疑いを持たずに行動すれば、人を傷つける。疑いを持って行動しなければ、自分を傷つける」と。
悩みながら、戸惑いながら、それでも一歩一歩、前に進める歩み続けることが大事なんだなぁと改めて思った。
ひと針ひと針&一歩一歩・・・・・迷うから学ぼうとする。学ぶから一歩前に歩けるのかな・・・・
変わらずの一歩一歩。

 

皐月の空を見上げて

すっかりすっかりご無沙汰になってしまったブログを久しぶりに開く。さて、何から書き始めようか、、随分遠ざかっていたから、一体何から書き始めたら良いのかちょっと悩む。真っ青な皐月の空を見上げながら、相変わらず余震が続く熊本を想う。静まらない大地を憂う。
GWは毎年母の住む田舎に帰って、家族みんなでお茶摘みをするのが、もう十年以上続いていた。でも今年の初め母が亡くなり、我が夫や姉の夫が体調を崩していることもあり、今年は本当に久しぶりにどこへも行かず、我が家で過ごした。

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 ここんとこずっとずっと忙しかったから、こうして家にずっといることなんてなかったから、めっちゃ嬉しい。お天気も良くて、真っ青な空や木々の緑がキラキラ光っていて、もうそれだけで幸せ。

人込みや渋滞が嫌いだから、お出かけは無理!だから、放ったらかしになっていた2階の本棚の整理をし、衣替えと称して着てない服を処分し、ベランダの奥に突っ込んでいたものを片付け、ゴミ袋5個、そして本は紙袋4個以上!処分~!いや~よく働いたぁ!

で、疲れたら寝っ転がって、これまた溜まっている本を読みつつ、時々まどろみ~。あ~、こんな風に家にずーっといるのって何年振りかな??そうしみじみ思ったり。

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特に4月は超がつくほど忙しかった。私的な出来事も未だかってないほどてんこ盛りの中、4月末、埼玉の大宮であったヨーガ療法学会の分科会「がんとヨーガ療法」では、この1年間行って来た九州がんセンターでのヨーガ教室の報告を、100人近い人たちの前で20分近く、パワポを使って話をすることになり、その準備にも追われていた。

そんな日々、必ず行ったのは毎朝30分ほど早起きをして、静かに座す、瞑想タイム。すっかり気候も良くなって、朝早く座っていても寒くない。まずは深呼吸して丹田に軽い力を入れ、背骨を伸ばして姿勢を正す。こころを上唇の真ん中、人中(じんちゅう)に向け、そこに流れている呼吸の風を観る。ずっと観続ける。やがて左の鼻から息を吸い、右の鼻から息を吐いていく片鼻呼吸のイメージが始まっていく。でもこころはじっとしているのが嫌いだから、いつの間にか雑念が次々に湧き上がってくる。そんな雑念を、はぁ~・・あんたはそんなことを気にしてるんだ!と、飲み込まれることなく客観的に実況放送をしてるが如くに捉え、しばし後、また呼吸を観続ける。
30分間座っていて、多分20分近くは雑念の嵐との闘いかもしれない。でも全く雑念が消える時間が必ずある。頭の奥がすっからぴ~ん??になって、快晴の青い空に、限りなく青い空に包まれる時間がある。
そこでセットしていた携帯のタイマーが鳴る。え~!もう30分過ぎたんだと大きな背伸びをして現実に戻る。

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よっしゃ!リセット完了!という感じで1日を始めると、集中力が増す。今やることはこれ!!と、忙し最中での優先順位が見えてくる。朝から頭も快調!?!

もちろん埼玉、浦和(大宮のホテル取れず)のホテルでもベットの上での瞑想タイムを欠かさなかった。で、発表は???自分でも信じられないくらいの平常心で、しかも伝えたかったことのほぼ全てを話すことが出来た。「行為の結果を求めない」「今できることに全力を尽くす」無心で語り続けた20分だった。

お嫁さんが乳がんになり、ピンクリボンの会で聖路加の保坂先生のご講演を聞いて、自分の経験には必ず意味があることに気づかされた話もした。(会場内にその保坂先生がいらっしゃることも知らずに)
最後はこの1年がんセンターで出会った150名近い患者さんのすべてのお顔を覚えてはいないけれど、記憶に残る患者さんのことを思いながら、患者さんから寄せられたこころの声を紹介した。

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終わってからたくさんの方々からお声をかけていただいた。「先生、抱きついてもいいですか」と、若い療法士に言われ、「ハグは一回100円!」と返した私。とにかくみなさんの思いちゃんと伝えることが出来て良かったなぁと、しみじみ思った。よく頑張った自分を抱きしめてあげたいと思った。
そして私が行っているがんセンターでの「ヨーガ教室」という取り組みが、アメリカや欧米諸国と同じように、日本のがん関連の病院、緩和ケァーでももっともっと取り入れられ、患者さんのQOLを高める一助になることを祈りにも似てこころから願った。多分命が続くまで私のライフワークとして、これからも現場で、一人一人の患者さんに向き合っての指導をしていこうと、こころに強く誓った。

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後日大宮大会の担当者の方からメールが届いた。「会場内に保坂先生がいらっしゃって、二宮さんの発表に、保坂先生のお名前が出て、先生も喜ばれたとのことです。」え~!!なんと間抜けな私。折角の機会だったのに、なんにも知らずにご挨拶も出来ずに・・・・でも、きっと伝わっていますよね?!
不思議な繋がりの連鎖が今の私を支えてくれていることに、感謝する日々。それらすべてが私の今を支え励まして下さっていることに感謝!!
熊本の被災地にヨーガ療法ボランティアとして入り、共に過ごすことが出来たらと願い、ボランティア申請もした。今できることに全力を尽くす。その思いしっかりと胸に抱き、変わらずの一歩一歩。

 

母が逝った日

1週間前の今日、母が静かに旅立った。小さな村にある大きな家で、祖父母を父を見送った母は、その家にもう一度帰りたいという願いは叶えられないまま、入院中の病院のベットの上で、信じられないくらい穏やかな顔で、静かに静かにその生涯を終えた。その一部始終を私はひとり、ずっと見つめ続けた。
母の急変を知らされたのは先週の木曜日。その日から祈る思いで仕事を続け、土曜日は結局レッスンを休講にして別府へ向かった。

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前夜病室に泊まってくれた弟に代わり、連日の看病で疲れ果てていた姉を家に帰し、その夜は私が母のベットの側で眠ることにした。木曜日から意識を無くしてしまった母は、全力で苦しそうに息を吸い続けていた。「お母さん、苦しいね。でももう頑張らんでいいよ」そう何度も語りかける。少し眠らなくてはと横になる。でも結局1時間ほどまどろんだだけで、また起き上がり母を見つめる。

母は口を大きく開けて懸命に息を吸おうとする。その間隔が少しずつ遠くなり、そして小さくなる。不規則に静止して、また思い出したかのように息を吸う。「お母さん!息を吸おうよ!」命の炎が細く弱くなっていく。やがてそんな懸命の姿勢が少しづつお休みを始め、その頻度が少しづつ増していった。母の命が終焉に近づいていることを知り、少し慌てた。もうこれ以上延命の処置はしないと、決めたのだから、慌てずにしっかりと母の最期を見届けなくては!私は気を取り直し、また母の側で見守り続けた。

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人は生まれ、やがて誰もが死を迎える。死に逝く人はこんなふうに最期の時に近づいていくのか。「お母さん、ありがとうね。ありがとう、お母さん!」少し冷たくなった母の手を握り、そう何度も母に言い続けた。心拍が50から急下降していく。ずっとずっと休んでから小さくか細い息をひとつ吸う。そして・・・・母の表情から苦しみが消え、穏やかな優しい顔になり、そして、母の命の炎が静かに静かに消えていった。
その瞬間、神さまの元に往ったんだ!そう思った。それほどに、母の顔は優しい光に包まれているようだった。
駆けつけた姉を見た途端涙が溢れた。「お母さん、逝ってしまったよ・・・・」看護師が医師を呼び、駆けつけた医師によって、死亡時間が告げられた。「5時20分お亡くなりになりました。」「ありがとうございました」姉と私は今まで本当に最善の処置を行って下さった先生に深く深く頭を下げた。

最近読んだ立花 隆氏著の「死はこわくない」中に、「臨終時には人間は恐れではなく、平安な夢見心地の状態に入り、そのまま死を迎えるようになる」と書かれていた。母はまさに平安の光に包まれるように、穏やかに逝った。

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家族葬でとも考えたけれど、今までお世話になった村の人たちや、親戚の人たちとも一緒にお別れしたかったので、翌日の月曜日、村に近い葬祭場で葬儀を行った。母の顔はとても綺麗で、優しさに溢れていた。私はそして姉は、母と過ごした日々をひとつひとつ思い出しながら、溢れる涙を止める術を無くし、子供のように泣き続けていた。多分一生分の涙を流してしまったかもしれないな。親戚の人たちから、母の小さい時の話や父とのことなど、知らなかった話を聞いたり、村の人たちも母の死をこころから悼んで下さった。息子が常子ばあちゃんへ、と木浦での思い出を静かに語った言葉はとても胸を打つものだった。「良かったね、お母さん。幸せな人生だったね・・・」そうしみじみと思った。

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葬儀の後はお骨になった母をみんなで木浦の家に連れて帰った。気道を切開して声を無くしてからも「か・え・る」と声にならない声で訴え続けていた母を、やっとこの家に連れて帰えることが出来た。夜は家族みんなで夕飯を食べ、賑やかな宵を過ごした。「いつまでも喋っとらんで、風呂に入らんね!!」そう叫ぶ母の声が聞こえるようだった。

忙しかった1週間が終わり、やっと母の死と改めて向かい合っている。眼を閉じると一週間前の母の姿が目の前に現れてくる。優しい母の顔と共に、「頑張らんといかんよ」そういつも言っていた母の声が聞こえる。今週末は母に会いに木浦に帰る。姉や弟と力を合わせて、あの家を守っていかなくては!「大丈夫だよ、お母さん」日が経つにつれ増していく喪失感、悲しみを胸の奥に抱きながら、今週も一歩、一歩・・・

★最近読んだ本   「死は怖くない」  立花 隆著
         「職業としての小説家」  村上 春樹著

 

 

 

真っ白な世界で考えたこと

目覚めたら外は真っ白な世界に変わっていた。大寒波到来!で、ここ福岡もこの冬初めて雪が積もった。久しぶりのお休みに片付けなくてはいけないこと山積みだから、閉じ込められたことを幸いとして、1日中机の前に座り、資料の整理に集中して取り組んでいた。しんしんと雪が降り、窓の向こうは真っ白な世界が広がっていて、そのピーンと張りつめた静寂が、むしろここちよい。

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1月いっとき・・・・本当にいっときの間に過ぎ去っていく。母を見舞いに別府へ行く電車ソニックの車内で、重くなった携帯のデーターを整理し消去しようと、録音されたものを聴き直していたとき、すっかり忘れつつあった、懐かしい過去のひとときと思いがけず再会することが出来た。それは5年前の冬、ヨーガ療法士の資格を取るために大分に通い勉強をしていた時の講義の録音だった。講師の山岡先生がヨーガスートラの第二章第15節をわかり易い言葉で読み解いていく。先生の問いかけに答え、頷き、時には笑う5年前の私がいる。仲間たちの声が聞こえる。一瞬にして5年前のあの空間に戻る。

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事象の転変と不安と残存印象とからは、苦悩が生じ、同じく、三種の徳性と心理作用双方の働きが相反するゆえに、識別の智慧を得た者にとっては、この世のすべては苦しみなのである。(Ⅱ-15)」

生きている限り試練は次々にやってくる。しかしその試練を苦とみるか、その苦を学びと捉え、智慧を得るか・・・・
私たちは天気の良し悪しを雲の有無で判断する。雲の上にはいつも青い空があるのに。人生も同じ。耐えず雲が生じ、流れていく。人は事象の変転に心を乱し不安、恐れを抱く。変わらない青空の存在を忘れて。人はなぜそれを苦と捉えるのか?それは過去の記憶からこれは「苦」だと判断をするからだという。残像印象(過去の記憶)が一層それを苦だと受け止めてしまう。
しかし識別の智慧を得た人は、こころの自由度が広いから、苦の中に意味を見出し、苦を苦と思わず、ゆえにそれを苦だとは捉えなくなる。
どんなことが起きても、それに意味があって起こっているのだとむしろ次のステップへのチャンスと受け止める。それって言うは易く、行うは難しだよね。
だから、そうありたいと願い、ヨーガを学び続けている。そして一人静かに座したとき、決まって自分に問いかけている。この苦にはどんな意味があるのか・・・

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年明け早々、学会本部から4月末に埼玉の大宮で開かれるヨーガ療法学会の分科会で、ずっと指導してきたがんセンターでのヨーガ教室のことを講演して欲しいと依頼が舞い込んで来た。「えっ!!この私がですか!」分科会とはいえ、100人近い人たちを前に、ちゃんと臆せず話すことが出来るのだろうか?私のようなただのおばさんがそんな晴れがましい場所に立っていいのだろうか?・・・・不安、恐れがぐるぐると頭の中を回り、そしてやっとスートラのこの言葉を思い出した。

「いまだ生じて来ぬ苦悩は、除去しうる。(Ⅱ-16)」

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 大地にしっかりと根を張り、天に向かって枝を広げ、迷いなく立っている木のように、凛として迷わぬ私でいたい。そのためにも真摯に学び続ける姿勢を失わないでいよう。
資料を整理し、ヨーガ教室で行ったアンケートの集計に終日パソコンの前で格闘していた。ほぼ7時間近く。外は相変わらず真っ白な世界が広がっていた。
抗がん剤で辛い気持ちが晴れ、頭がすっきりしました」「先生のお話で勇気づけられました」「今後の生活に取り入れて、前向きに生きていきたいです」「シンプルな動きでこんなに効果を体感できることに驚きました。他の病院でもこのような機会があるととてもいいと思いました」
寄せられた患者さん一人一人の言葉が背中を押してくれる。そう、患者さんの思いを伝えるために、頑張らなくては!!
真っ白な世界で考える。こころを真っ白にして、与えられたことを懸命にひとつひとつ向かい合っていこう・・・と。

変わらずの一歩一歩、ニコニコの2月もうすぐそこに。

注釈:『ヨーガ・スートラ』はインド哲学の1派であるヨーガ学派の根本経典。成立は2-4世紀頃。パタンジャリによって編纂されたとされる。By ウィキペディア

★最近読んだ本  「ラオスにいったい何があるというのですか?」村上春樹
★最近観た映画  「007 スペクター」 ダニエル・クレイグ主演